| 「優しい必勝法」は決して簡単ではない●まえがき
「誰にでも優しい男はダメ」
テレビ画面の向こうで微笑みながら、女優の大竹しのぶはそういった。きっと別れてしまった亭主のさんまは、誰にでも優しかったのだろう。
だが、その意見をいいかえれば、「私だけに優しい人」がいいということだ。ごく普通に若く、ごく普通に健康で、それなりにおしゃれで明るい性格、料理は得意じゃないけれど結構掃除好きで、自慢はサラサラのストレート・ヘアー。どちらかといえば、風水より星占いを信じているかも……。
お嬢さん、そんなあなたを一言で表せば、それは「平凡」ということだ。つまりは掃いて捨てるほどいる適齢期の女性の一員である。
ええ、そうね。私は平凡な人間かもしれないわ。でも彼は、私の平凡さの中にある個性を世界の誰よりも認めてくれ、大切にしてくれる優しい人なの。
なるほど、だから誕生日はもちろん、クリスマスにもホワイトデーにも欠かさずプレゼントが届き、その他にもネットの占いサイトをみたら水瓶座の君は、今月のラッキーアイテムが銀製品だった。ハイこれと、ハート型のペンダントなんかもくれるのか。それで携帯のストラップも“お揃い”のムーミンなんだね。
確かに仲の良いガールフレンドの全員にそんな手間暇をかける男なんて、お目にかかったことはない。だったら大竹しのぶのいう「誰にでも優しい男」なんて、この世のどこにいるんだろう。
別れたさんまは、君の彼氏の100倍稼ぎ、300倍は忙しいはずだ。誰にでも優しくしている暇なんてあるわけがない。なのにしのぶさんは、それが理由でさんま君と別れ、そしてその台詞はたくさんの女性たちの抱く男性観を補完している。
するとしのぶさんの意見広告は、真実ではないことがわかる。だから彼女に同意した女性たちも全員が嘘つきといって悪ければ、しのぶさん同様、無自覚な人々ということになるだろう。
この世界の誰よりも彼が評価してくれている、尊重してくれている平凡なあなただけの個性って何?
あなたの彼氏の300倍多忙なさんま君は、しのぶさん以外の誰にでも優しくしている時間的余裕なんかない。だからしのぶさん以外のもう一人にだけ優しくするのが精一杯だろう。それが彼女には許せなかったのだ。
「結婚前はあんなに優しかったのは私の価値を理解したからじゃないのね、あんな女にコソコソとメールを打ったりして、馬鹿にしないでよ、嘘つき!」
つまりさんま君は、他の誰にでも優しい男などではなく、他にも私と同じくらい優しくする相手が一人いる男だったからダメ!と、しのぶさんの本音はそこにあるのだ。あなたにとっても、しのぶさんにとっても、それは自分の彼が、誰にでも優しい男であるよりはるかに切迫した状況といえるだろう。
自身の値打ちは、せいぜい新球団・楽天イーグルスの8番打者程度なのだと、ベンチには似たような代打要員がいつも控えているのだと思いしらねばならないからだ。するとしのぶさんには二度目の離婚が訪れ、あなたにも何度目かの失恋がやってくる。あるいは、結婚3年目、今ならまだやり直せると、初の離婚に踏み切ってみる。
天下の大女優と平凡なあなたの蹉跌が同じ事情で生まれるのは興味深いが、原因は前述したようにどちらの人々も無自覚だからだろう。彼があなただけに集中したのは、さんま君がしのぶさんにだけ優しくしたのは、下世話な話だが早い話、あなただけがヤラせてくれたからなのだ。
あるいはきわめて近い将来、しのぶさんがヤラせるのがさんま君にわかったからだ。そうやって同棲が、結婚が、恋愛が始まる。
だが、そうなればヤラせることなんかまったく当たり前で、むしろヤラないほうが不自然というたった半年前には想像しなかった日常が始まる。そしてわずか2年後か3年後、カレは変わったわ、昔はこうじゃなかった。今年は私の誕生日さえ忘れてたのよ。あなたもしのぶさんも無念と失望を共有するのだ。
するとこうした挫折を回避するほとんど唯一の手段が実は「誰にでも優しい男」をパートナーに選ぶことなのだというパラドックスであるのに気づくだろう。
さんまは大忙しなので、たまたま興味の対象になったしのぶさんにだけ集中砲火を浴びせ、あなたの彼は映画スターやテレビタレント、グラビアアイドルを口説く自信がなかったから、合コンで親しげに薩摩揚げなんか取り分けてくれた「平凡」なあなたに、総攻撃を繰り返し、両者はとうとう撃墜されたのだ。それが私だけに向けられた優しさだと勘違いして。
間違えてはいけない。さんま君もあなたの彼も、結婚したら同棲が始まって1年もしたら、急激に優しさを葬ったり、電車の中で女子高生のミニスカートを舐め回すように眺めるオヤジ化を引き起こすのではない。
男は物心がついたときから以降、こと異性に関しては一貫して「オヤジ」なのだ。禿げて、太って、脂ぎって、オヤジ化が始まるのではない。合コンであなたを見初めた日、彼はもう充分オヤジだった。そして悪いことに誰にでも優しく振る舞う余裕の持ち主でもなかったのだ。
彼がどんな隠れオヤジなのかを疑うチャンスは、あなたにも充分あっただろう。
地下鉄の座席で優しくあなたの手を握りながら一心に語りかける彼は、目の前に小さな女の子を連れ立っているお腹の大きな妊婦に気づかない。
日曜ごとに季節探しのドライブに連れ出してくれる彼は、パーキングエリアのダストボックスの溢れ出たゴミの山に、あなたが飲み干したスターバックスのカップを無雑作に投げ込む。いや、それとも料金所のグリーンベルトに空のペットボトルを放り捨てるのかな?
付き合い始めて3年、ハンカチを持っているのは見たことないけど、車のトランクには掃除用愛車セットを満載してるわ。そういえば、ファミレスでオーダーするとき、バイトの女の子にメニューを返しながらニッコリなんてないわねぇ、だって彼は私のこと見てるから。
すでにゴミが溢れ出て、周辺にいくつもゴミ山が盛り上がってしまうのは、訪れるカップルや家族たちの全員があなたや彼と同じ、誰にでも優しくなんか一生できない人々だからだ。
ここはゴミ捨てでしょ、一杯になったのは私たちのせいじゃないし、外にこぼれちゃうのはしょうがないじゃん。
目の前に立っている婆さんや妊婦は大変かもしれないけど、俺だって今日は残業で疲れてるんだ。勘弁してくれよ。
誰にでも優しければ、その人間は汚れきったダストボックスを次に眺める人を思いやるだろう。後部座席の足下に空のペットボトルは置きっぱなしでいいじゃないか。やっと座った満員電車で、目の前に荷物抱えた爺さんに立たれた彼氏は確かに不運だ。でも誰にだって優しいなら疲れた自分と荷物の老人のプライオリティは、辛抱して逆転させるだろう。眠ったフリなんて恥ずかしいではないか。
さんまは誰にでも優しいからダメだと、そう話す大竹しのぶと、彼女の言葉に共感するあなたのレベルとはこんなものなのだ。だから彼女は二度目の結婚にも失敗するし、あなたの失恋も片思いを含めれば6回目なのだ。
物心ついた少年は、その日からオヤジになる。すると少年オヤジも青年オヤジも、もちろん完璧な親父世代オヤジも、誰にでも優しく振る舞うなんて、さんま同様夢のまた夢だ。だがらあなただけに優しいのだ。当然何もしないでヤラせてもらえる日がきたら、借り物の優しさなんて無用ではないか。
そういう相手としか出会うチャンスがなかったしのぶさんやあなたは、ならば次の局面、つまり無条件でヤリあう関係を構築した後は次なる試練と戦わねばならない。もう黙ってヤラせるのは何らの価値もないのだから。
するとその座標軸は、たとえば家事なら多彩で充実した夕食作りだったり、シンプルだが他の何も代え難い味わいのみそ汁だったり、さらには子どもたちを含めた自由で闊達な家庭の雰囲気作りだったり、自分の少女時代以上に不出来な成績のバカ息子を、勉学以外の個性で鍛えてやる理念を自らに課すことだったりする、まったく別のものへと昇華していくことだろう。
亭主はそんなあなたの能力に平伏し、崇め奉って一生懸命働くだろう。しのぶ君にもあなたにも、たぶんそれがないのだ。それがないまま単純に太り、年をとり、もう亭主はまったく有り難くなくなっているのに、今度は自分からヤロうなどと言い出す始末だ。さんまが他の誰かに優しくし始めるのは、奴が浮気者だからではなく、しのぶさんが少女時代も娘時代もこの先も変わる見込みのない、平凡なままの退屈な人だからである。
それが3年前、5年前優しくされ続けたのは要するに若かった(もしくは珍しかった)からで、今のあなた、これからのあなたの手元には若さや、ヤラせるというトランプ(切り札)はもうないのだ。
競馬の世界にも「私にだけ優しい」必勝法なんてありはしない。なのに競馬ファンの多くは、この世のバカ娘たち同様、ある日自分にだけ優しかったはずの、それこそ取るに足らない必勝法にいつまでもすがりつき、毎週競馬場でパンツを脱いだり、履いたりを繰り返す。
そういう場所で私は番組表に出会った。それと取り組むことで主婦が家事や育児やその他の諸々を通して、新しい家庭環境や亭主との関係を創造するような、別の試練を楽しんで戦う時間を手に入れた。
その戦いが見せてくれる世界は、古女房や3年越しのガールフレンドと過ごすベッドのような競馬予想とはまるで異質な緊張と刺激に充ち満ちている。競馬番組表こそは大竹しのぶが生涯一度も出会うことのない「誰にでも優しい」競馬ファンのテキストなのだ。
あなたも是非退屈なベッドから抜け出して、このスリリングな新生活を体験してほしいと願う所以である。
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