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| 競馬番組表だけが勝ち馬を知っている!●はじめに 神の顕在。「おっぱあ(お兄さん)、今年は今日が最後ですう。ツケ来年まで我慢するからお店来てください。お客さん来ないとワタシ、大ママと店長に虐めもらいます。インセン・ケロッタ(人生が辛い)」 「そうか、それじゃ可哀そうだな。今年はヤらせてもらえなかったけど、ここで頼みを聞いてやったら来年は、あの娘が俺のいうことを聞く番だな、ウヒッ」 明日は晦日という年の暮れの夕方、か細い声でかかってくる韓国人ホステスの電話に、そう考えているようではまだまだ人生への取り組み方が甘い。 たぶん彼女は今日の午後2時過ぎにベッドを這い出して、コーヒー片手の咥え煙草のまま、20人もしくはそれ以上の数のハゲ親爺共に、同じ台詞を繰り返しているのだ。 こうして数本のチューリップ坊やを刈り取ると、それからゆっくり入浴、韓国ドラマのDVDを観ながら、健全な市民なら1日の労働に疲れ果て家路を急ぐ頃、その日の朝・昼・夕を兼ねた初めての食事にとりかかる。 チューリップ坊やって何か? いや、ハナの下の長いおっさんということさ。 そうして午後9時、爪楊枝が2、3本乗っかりそうな付け睫毛を装着し終え、悠然と出勤の段取りである。 それがわかっていてなぜモンナニ(ブス)とアジュマ(年増)の放牧地みたいな韓国店へ出掛けるんだと世間は私を訝しむのだが、昔から言うではないか、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と。 そうやって暮らして、私は様々な虎児に出喰わしてきた。しかし問題なのはその虎児が必ずしも虎の子供とは限らない点なのだ。 果たして私はその夜も、虎の子どころか季節外れの薄羽かげろうに出会うことになった。 晦日からは兄貴株にお伴して出掛けなくてはならない。何かと物入りだからタクシーはやめて電車にしようと駅に着いて小銭入れがない。ないのは私が小銭入れを持ったことがないから当たり前で、仕方なくカラッポ同然のスイカに5000円札でチャージすることにした。 最寄り駅の券売機は構内のやや凹んだ場所にあり、周囲は旅行案内の看板などに囲まれて、そこだけは直に寒風に晒されない。 その凹みに薄羽かげろうが一匹止まっていたのだ。歳は30代かもしれず40過ぎかもしれない。 薄汚れたどころではない。垢で死んだ奴はいないと聞いたことはあるが、着衣を含めこのかげろう男なら、「死因は垢です」と発表されて全国民が納得するだろう。 私は振り返って虎の穴のドアを開けた。 「おい、乞食」 そうだとしても(そうなのだが)、何年来かげろうはそういう差別用語で呼びかけられた経験はないのだ。 人が心底ギョツとする表情というのは、普段ホラー映画辺りで作り物を見るだけだから、かげろうが私に見せる仕草は貴重である。彼には私の上着も警官の制服に見えたことだろう。 「今日、飯喰ったのか」 畳み込む私にかげろうは精一杯首を左右に振った。一緒に鼻水も左右に飛ぶ。 券売機が吐き出した釣銭の3000円とポケットティッシュを出して、「蕎麦でも喰いな」 瞬間、かげろうはオニヤンマに変身し、私の右手の夾雑物は煙のように彼のどこかへ納まった。 おそらく世の中の冤罪事件の容疑者たちも、取調室ではあのかげろう君の眼差しで、検事や刑事を見たことだろう。そして話がそこで終われば、一件は私流、一杯のかけ蕎麦物語で済んだのだ。このあとに私は神の実在を思い知るはめになる。 9時半を過ぎて訪れた放牧地は満開のチューリップ畑化していた。 「ワタシ、今とても体ワルイです……」の付け睫毛は、チューリップ畑の真ん中でグラス片手に馬鹿笑い。仕方なく一人ポツ然と座っていると、間違いなく彼女の父親は韓国の有名なコメディアンであろうと思わせる御面相の丸々太ったヘルプ嬢が到着。手酌でグイグイ呑むのを黙って見物していれば、この夜の私を神様が咎め立てなさることはなかったはずだ。 だが生来、私は気が弱い。そのうえ生活習慣病で女性には即座に嘘をつく重い症状を患っている身の上だから、そのグイグイ狸相手の沈黙に耐えられず、今しがたのかげろう物語の顛末を話したのだ。これが間違いだった。 「俺はね、とにかくそのかげろうを洗濯したくなったんだ。だから今夜は早く電車で帰って、駅にそのかげろうがまだいたら、連れて帰って消毒と入浴、着る物は全部俺のお下がりに替えて、何、ダブダブだって今よりマシさ。それで静岡へ出掛け明日からは留守番やらせるつもりだ」 「おっぱあ、やめてください。3000円あげてもう充分です。それより他のお釣りあれば私に」 インセン・ケロッタは私が言いたい。そう??a???やって年が明け、何事もなくパッとしないひと月が過ぎた2月のある日、見たことのない携帯番号に「キムラ」と記したFAXが届いた。「至急連絡を」と金釘文字が妙に切迫している。 キムラ君は私が年に三度か四度ゴルフを付き合う元研修生というキャリアの持ち主。当たり前だが桁外れな飛距離で小技も長けたゴルファー。いつラウンドしても負けてしまう 難敵だが、その番号は彼の物ではなかった。 確か妻君は看護士で二人の子供と犬一匹、成田のどこかにマイホームを構え、知り合った当時の会社は辞め、今はタクシーの運転手になったと、半年程前ラウンドした折りに聞いたのだが……、ハテ誰だろう。 FAXの主はキムラ君だった。 「今、1000円しかないんですが、ここから片岡さんの最寄り駅までの電車賃はあります。会ってください。女房とは離婚し家も銀行に取られ、タクシーも駄目なので新聞店に住み込んで云々……」 軽トラック一杯に満たない家財とゴルフバッグのキムラ君を、仕方なく私は引き受けるこになった。1か月、2か月、キムラ君は思い出したように面接に出掛け、思い立って三日程どこかに勤め、夕食の買い物に私は買ったこともない缶ビールを毎日買い続け、晩飯にはビール片手のキムラ君の恨み節の聞き役を務め、いったいこの先、身の丈180センチ、年齢46か47の居候とどうやって過ごすかと、そこでシミジミ思い知ったのだ。 そうか、あの晩真ん丸狸相手に飛ばしたかげろう物語を、神様も聞いていたんだな。 それじゃやって見せろと神様は、かげろうの代わりにクワガタみたいなキムラ君を、私に送りつけたのか。いや口は災いの元だ。 神の使いのキムラ君は3か月ゴロゴロしてようやく仕事を見つけ、私はレンタカーのトラックで引っ越しを手伝った。途中一度は仕事が見つかり、引っ越しの日、私は都合で手伝えないから赤帽を呼び、なかなかその赤帽が来ないので駐車場までキムラ君の荷物下ろしを提案したのだが、「あいつらは運び出しの料金も取ってます」と、キムラ君はなかなか冷たい男である。ばかやろう。その勘定誰が払うんだ。 私は暮らし振りを間違えている。なぜなら私には虎の穴とモグラ穴の区別がないからだ。 お陰でわが人生のスコアボードは七回裏、65対8の惨状なのだが、それでも25年程前に開けた「競馬番組表」の扉は、本物の虎の穴だった。 以来、数え切れないほどの噛み傷を受けながら、それでも私はこの虎の穴に籠もり続けオペレーションという名の人喰い虎と対峙を楽しんでいる。渡り合っているといえばおこがましいだろう。何しろ相手は比類ない膂力とスピードで、この穴に潜り込もうとする私のような小動物を、一撃で葬る破壊力の持ち主なのだ。しかもそのうえ次から次へと変幻自在な手管を繰り出して、守ろうとすれば背後を取られ、攻めようとすればヒラリと身をかわされてしまう。 既成のあらゆる必勝法と称する戦法は、この虎の前では何の力にもならない。それに頼ったあなたの馬券作戦を、虎は先刻承知している。こちらの手段を見透かされていれば、軍神、山本五十六元帥だって撃墜されるのだ。 充分に勝つというのが、あなたにとっていったい虎の子の何匹を指すのかは知らないが、薄羽かげろう男とクワガタおじさんの間を右往左往の私が今もこうして闘い続けられるのは、オペレーションという名の虎が願い事をする習性を知っているからだ。 人喰い虎は一年に三度、競馬番組表という経典を上げ、彼らの祈りをそこに刻み込む。 だからダービーとはその年のデビューを目指す千単位の馬たちのなかで、最も強運な一頭が手にするタイトルではない。その馬は3冊の経典に刻まれた虎の祈りの化身なのだ。 来るはずもないと考えた下馬に飛び込まれ、負けようもないと信じた軸馬が4着に落ち、ファンは毎週霰のように降り注ぐ5万、10万の3連単馬券に翻弄され続ける。 いや、去年はあれとこれ、今年も何々を取ったという話はしても仕方がないだろう。 そんなもの、あなたが競馬場で負った生傷にとれば、精々が絆創膏代というレベルの戦果に過ぎない。 今年もクラシックのシーズンがやってきた。ゲートには祈りの化身の一頭と、その馬を囲む17頭の道化たちが並んでいる。 GTレース発走の大歓声に浮き立つ前に今年のクラシックは、競馬番組表のページに刻まれた虎の祈りを読み取る努力をすすめたい。そのメッセージを読み解けば、今年の春は専門紙やスポーツ紙に並ぶかげろう男たちでは夢にさえ現れることのない虎の子を、自らの懐に引き込むことができるのだから。 |
目 次 競馬番組表だけが勝ち馬を知っている!●はじめに 第1章 名牝たちの系譜 桜花賞はこの馬を狙え! 第2章 視点を変えれば勝ち馬が見えてくる 第3章 繰り返しのゲームで勝つ術 春の天皇賞は1点勝負だ! 第4章 オペレーションの意匠を見抜く ヴィクトリアマイルの勝ち馬 第5章 競馬番組表からの宣告 NHKマイルCで大儲け ●疑うことからすべてがはじまあとがき |
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