| まえがき
「この下に……」
そのモノクロ写真には、農民風の男性が写っていたように思う。
彼は一面の雪野原に立てられた小さな看板を指さしていた。そしてその看板にはこう書かれていたのだ。
「この下に高田の町あり」
妙高高原を麓へ降りて、直江津の海岸に向かう新潟平野の真ん中、それは現在の信越線高田駅周辺が7メートルとか8メートルの豪雪に閉ざされている60年ほど前の雪国の記録写真だった。
当時小学生でもう立派なスキーフリークだった私は、その風景にうっとりした。7メートルも8メートルも降り積もった雪は、いつまでも溶けずに残っているだろう。もしかしたら新潟の子どもたちは夏休みもスキーをしていたかもしれない。
我が家が新潟のどこかに引っ越したら、俺はどれほどに幸せだろうか。
時は移り、平成18年の正月が来た。地球規模の温暖化や大都市のヒートアイランド現象といった環境変化で、今ではそんなドカ雪報道に出くわす機会はないのだが、この冬は久しぶりの大雪騒動である。
先の中越地震で被災した新潟の津南町周辺も、今年はこの時期としては異例の4メートル超という豪雪に見舞われて多くの住民が孤立化、食糧や燃料をはじめ各種住民サービスから医療などの社会環境が危機的状況に陥ったというニュースが、正月明けのメディアから連日流されている。
行政側からは、医師と看護師のチームが派遣され、自衛隊が雪かきに出動して地域には救済措置が講じられたが、それでも全国的には戦後3番目とか4番目という100名近い犠牲者が出る事態である。大災害といえるだろう。
だが不思議である。
数十年前、新潟は「この下に町あり」というとてつもない豪雪地帯だったのだ。もちろんその状況は近隣の山形県、秋田県の山間部も同様だったに違いない。
20歳代の若者たちにとってそれは、大昔の話なのだが、実は世の中のおよそ半分近い人々にとっては、昨日の出来事だったはずだ。今の若者たちが津南町の大雪に驚いているように、当時の若者も新潟の雪に毎年驚いていたのだ。
あの頃、今とは比較にならない交通機関や通信手段、社会環境が未整備だった時代、豪雪地帯の人々は餓死者も凍死者も出すことなく、4メートルどころではない雪の下で冬を過ごし耐えてきた。
新潟と長野を結ぶ鉄道の県境に森宮野原という駅がある。夜汽車で駅に着いた小学生の私を迎えてくれたのはいつもソリだった。見知らぬ大人の背中に隠れて吹雪を避けながら着いた農家で、私は温かな晩飯を腹一杯食べて眠り、晴れれば一日中ゲレンデで滑り続け、リフトが動かない悪天候の日は囲炉裏の脇で、塩っぱいお汁粉をお代わりしながら過ごした。たぶん誰も訪れて来ず、いずれに出掛けることもない一日。農家はいつも大屋根に届く雪に埋もれていたのだ。
4メートルの積雪は確かに豪雪だ。しかしそれよりも少し昔、今よりはるかに条件の悪い時代、4メートルをはるかに超す雪のなかで暮らした人たちの知恵は、今いったいどこへ行ってしまったのだろう。
テレビのレポーターやキャスターたちは、分秒を争って手を打たねば村人全員が遭難するかのように騒ぎ立て、このままでは犠牲者の数がどれほどになるか想像もつかないなどといい募る。
日本人は、誰もが妙に弱くなってしまったようだ。自分の周囲になにか予定外の出来事が起これば、大人も子どもも即座にヒステリックな反応をみせる。
だから叫び出したかと思うと、次の瞬間泣き出し、そのあげく競争社会で生きているので癒しが欲しいなどと、大の男が臆面もなく口にする。
競馬場はそうした癒しと金が両方欲しい大人と子どもの溢れた場所だ。しかしほとんどの欲張りたちがどちらも手に入らないのは、欲張りだからではない。無知だからだ。
4メートルの積雪で死者100人近いという報道に震え上がる茶の間の主婦のように、情報に過剰反応してしまう。経験値が培う雪国の人々の知恵が身につかないのだ。
この場所には毎年、「競馬番組表」という正確無比な気象予測が発表されている。そこには平均気温も降雨量も積雪も、馬券をめぐるあらゆるデータが克明に記載されている。その1冊を学べば、一年中冬しか訪れたことがないというあなたの競馬場に、暑い夏や美しい春がやってくるだろう。メディアが「したり顔」で垂れ流す情報に右往左往しなくなる四季が訪れる。
競馬場では蛇になれ。動物学者の話によれば、東南アジアの密林に棲む蛇の最大の捕食者はより大きな蛇だそうだ。
これまでもこれからも、競馬場の密林には癒しと金を求めてウロつく小さな蛇が一杯だ。競馬番組表、それを学ぶ決意さえあれば、捕食者になったあなたが飢えることはなくなるだろう。
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