| 「筋書きのないドラマ」といってるヤツはJRAのまわし者だ●まえがき
スクリーンにタフガイが登場する。屈強な男たちのチームを引き連れ、次々と襲いかかる苛酷な条件を乗り越えながらやがて目的地へ。
辿り着いたその場所は麻薬組織のアジトだったり、何かの危険にさらされる子どもたちの施設だったり、あるいは独裁者の圧制で消毒薬も食料も尽きた病院だったりする。
まぁシチュエーションは何だっていい。お約束のハラハラ、ドキドキ脱出劇はこれからだ。
すると決まってそこに1人の女が現れる。それも大概は若くて、そのうえビックリするような好い女だ。で、話はそこで終わりである。
バァカ、奥地のボロ病院にこんな美女の看護婦なんかいるわけねえだろうと毒づいてみても仕方ない。はじめは警戒心の固まりだったはずの彼女なのに、滑ったり転んだりしているあいだに風向きは一変。結局は最後にタフガイのベッドへ飛び込んでめでたしめでたしなのだ。
パドックで馬たちを眺めているといつもヒーロー映画を思い出す。
スクリーンでは出てきたとたんに、あっ、このネエちゃんがヒロインだなと見物の誰もが一発でお見通し、どうせ最後はアイツと手なんか握り合ったあげくしみじみヤらせるんだと結末まで丸見えなのだ。
しかし週末に向かう先が映画館ではなく競馬場だという男たちの場合は話がややこしい。
JRAシアターが上映している12本の短編映画で撃ち殺されるのは、スクリーンの仇役ではなく見物人たちである。
待っていたタフガイは役立たずで、全員が一目惚れのヒロインはとんだ病気持ち、呆気にとられた観客たちの傍らを颯爽と駆け抜けたのは、予告編にゃ影も映っていなかった馬。この劇場が上映するのはいつだって裏切りと失望の活劇なのだ。
おまけに街の映画館なら、かかるのは入場料の他はポップコーンの代金だけなのに、JRAシアターのほうは短編1本ごとに見物料を絞り取られてしまうときているからたまらない。
横文字づくめの昨今だからあなたもどこかでリテラシーという言葉を耳にしただろう。識字能力、読み書きの力を指す単語だ。
競馬ファンが何度もJRAシアターのドンデン返しに打ちのめされるのは、このリテラシーを鍛えないからだ。
競馬は筋書きのないドラマだといわれている。ならば仕方ない、少しでも可能性に近づこうとスポーツ誌や競馬雑誌の大広告を頼りに昔のトレーナーだった人物や騎手経験の持主を看板にした予想を金で買うファンも少なくない。だがそれは引退したタクシーの運転手に、来年の国土交通省の施政方針を聞くようなものだ。あなたが必要とするのはそういう類の情報なんかではなく、自身のリテラシーを高めるための努力である。
JRAシアターが上映する活劇は、壮大なシナリオを寸分の狂いもなく具現化してみせるドラマだ。あるはずがないと思われているシナリオの名前は競馬番組表と呼ばれている。だから私の1冊が、あなたにとってそのシナリオを読み解くためのリテラシーを磨く手掛かりになってくれればと願っている。
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