まえがき
別段、周囲に電気柵が設けられている、看板が立っているというのではないから、広々とした牧草地は地主様が牧草の刈り取りに精出している日でもないかぎり、近場の子供たちにとって格好の遊び場だった。
鼻輪につないだ牛たちと1時間ほど国道を往くとその牧草地に着く。戦前は軍隊が練兵場として戦争ごっこの訓練に使っていたほどの場所だから、見渡すかぎり青々と牧草が生え広がるここが大都市東京の近郊とは思えないほどだ。
適当な場所を選ぶと2〜3本の鉄筋を地中に打ち込み、そこにロープを括りつける。すると10頭ほどのホルスタインはてんでに散らばって、日射しの中で勝手に草を食は み寝そべりして存分に短い遠足を謳歌し始めるのだが、その折りに牧童の私が気をつけねばならない敵は、草むらの中を滑り抜けていく青大将なんかではない。どこかの悪ガキが牧草地スタジアムで放った場外ホームランのゴムボールなのだ。
カラス麦の青く瑞々しい苗は牛にとって最高のご馳走だ。まるで舐め取るようにして食べ始めるのだが、その時、稀に草むらに紛れ込んだホームランボールを誤って呑み込んでしまう。巨体の持ち主だからといって下水道管サイズの気管の持ち主ではないのだから、呑んだゴムボールで牛は窒息し、そのまま死んでしまうのだ。
検査を受ける前に死んだ牛は食肉として引き取ってもらえない。内緒で解体業者に叩き売り、1週間後はどこかのハンバーガー屋のパテに変身して最後のご奉公というパターンなのだが、酪農家にとっては大損である。だから子供スラッガーはホルスタインの天敵だった。
落第と放校を繰り返し、20歳を過ぎてついに大学進学となったある日、わが家に出入りしていた獣医が一件を持ち込んできた。
「勁太君、こう言っちゃ何だがあなたも散々ご両親に迷惑かけて、それでもって今から大学に行くそうだけど、ここはご両親に償いっていうかアルバイトしながら通学して、これ以上親に負担をかけずに卒業する気持ちはないかね」 そんな気持ちはサラサラないのだから聞き流せばいいのだが、何しろその時はいつもどおり状況が悪い。母親は進学に断固反対なのだ。
「勁太は死ぬまで勉強なんかする人間ではありません。そのうえ誰の言うことにも耳を貸す人間でもない。幸い体は丈夫なのだから自衛隊にでも入れて、徹底的にしごいてもらえば少しはまともになるチャンスが……」
今の世の中では想像も難しいが、当時新聞を広げると大見出しに「富士山・死の行軍」などという記事が出ていて、読んでみると自衛隊員が40sの荷物を背負って、富士山の麓を夜通し70キロ歩く訓練中に、疲れて2人死んだなどと書いてある。
そういえば先週、生命保険のおばちゃんがきてニコニコ顔だったな。おふくろは新聞読んで俺の保険賭け増しでもしたんじゃあるまいか。厄介払いはできる、保険はおりるの一石二鳥。ここは何としても自衛隊回避でいかないと俺の命に関わる !
仕方なくやっと伸びた頭髪をまた五厘に刈って父親の懐柔策に出たばかりだった私はクソ獣医に尋ねた。アルバイトって何やるの?
「牧場なんだよ。朝夕40分ほどの軽作業をすれば、三食と住居が提供されてそのうえ3万円のバイト料も出る。もちろん光熱費もタダ」
3万円はその頃の大学生が受ける仕送りの平均額ぐらいだった。私に選択の余地のあるはずがない。
かくして自衛隊のパンフレット片手の母親に見送られ、私は東京近郊の牧場へ向かった。だが思うではないか。牧場という以上、広々とした場所にサイコロや大きな母屋、牛舎などが点在し、朝はカッコウの声で清々しく目覚める。柵にもたれて近所の娘なんかと楽しく語らい、そのうちに牛だけじゃなくこの娘のおっぱいも搾ったりして??。よし、がんばろう 。
間違いだった。そこはダンプカーの往き交う国道の交差点に面した農家で、築150年、屋根裏じゃたぶん誰か死んでるだろうといった風情の細長い牛舎が庭に建っていて、私はその屋根裏の住人になり朝は4時に給きゅうじ餌をせがむ20数頭の啼き声で叩き起こされ、40分の作業というのは前半の3時間というのをたぶんあのクソ獣医が忘れたのだろう。終わって牛糞と汗にまみれ体を庭の井戸で洗う9時までの4時間、休む間もなく働き詰めの2年間がそこで始まった。
パドックで尻尾の付け根に赤いリボンという馬は人を蹴るらしいが、馬は真後ろに蹴る。牛は横蹴りが専門だ。搾乳器を抱えて横から潜り込もうとした私は、その横蹴りの直撃で隣の牛が垂れた糞の中に頭から転がり込んで悶絶する。
総じて500 〜600sの体重があるホルスタインが蹴るのだから、お世辞に蹴っても人間様の7倍や8倍の威力が当たり前で、死んだフリをする私に牧場主氏は冷静なアドバイスをくれた。 ??瓰????????o?ы?Т?Т?Т?o?К
「人間もそうだけど、乳は牛にも急所だから、知らないのに触らせるのは嫌がるんだよ」 以来、私はよく知らない韓国人ホステスのおっぱいに触るなどという折りは、慎重に心を込めるのだが、中に横着なのがいて途中でチューインガムを噛み始めたりするのはどうしたことだろう。この哺乳類はどこが急所なんだ?
一度に60s近い餌を食べるホルスタインは、当然それに近い量の排泄を行い、給飼と排泄が主務の私は、365日間朝夕欠かさず2トンあまりの力仕事。自衛隊のほうがいくらか楽だったかもしれない。牛乳を飲み続けたからといって背は伸びないが、牛小屋で働き続ければ間違いなくターザンみたいに丈夫にはなる。
幸か不幸か2年間1日も休むことなく乳搾りという私を訝いぶかしんでやってきた父親が、牛舎の屋根裏の居室で死んでいた2匹の大ネズミに絶句し、アルバイトは辞めさせると決断しなければ、私はそのまま牛飼いを続けたかもしれない。
牧草地ではさまざまなことがあった。ある日、小遠足で放牧場に出掛け、牛たちの真ん中に陣取って昼寝していた私は、異様な気配を感じて辺りを見回した。のんびりと寛いでいた牛たちが一斉に起ち上がり、地面に鼻を押しつけて緊張している。ちょうど闘牛士と対峙する牡牛のような姿勢である。そして次の瞬間10頭が円の中心に座っている私めがけて突進したのだ 。
その時どう思ったかは覚えがないけれど、たぶんいつもと同じふて腐れる他はなかっただろう。牛に踏み殺されるのは仕方ないが、新聞には牧童は乱暴者だったから牛に仕返しされたのだなんて嘘が報道され、母親はため息しながら保険金の再確認……。
そうではなかった。牛に取り囲まれ山手線外回り通勤電車状態が起きた途端、大きな地震が起きた。牛は直前にそれを感知し私を頼って逃げ込んできたのだ。予知はなまずだけの特技ではない 。
何かの都合で夕方の給飼に少し遅れる。牛小屋に面した交差点の人混みで信号を待っていると、牛舎で一番国道寄りにつながれた牛が、その人混みから私を見つけ大声で啼く。すると残る牛たちも一斉に啼き声を上げ私をせかすのだ。
もしモンゴルが中国から独立したら、彼の地で牛を飼って暮らしたい。牛を飼うのは面白い。ま、競馬ほどじゃないけれど……。
2011年9月吉日
片岡勁太
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