3つの数字のどれかが必ず来る!黄金の鉄板出目2017年1月~6月編

 『黄金の鉄板出目』で通算5作目(特別レース編1冊含む)となる。手前味噌だが、3つの馬番、というのが絶妙なラインなのかもしれない。出目やサインを嫌う読者の皆さまとは相容れない本書だが、出目攻略を楽しんでいるあなたとはお互い、毎週の重賞でこの3つの馬番がどうしても気になってしまう。枠番では会心の的中とは言えない。至極簡単、3連単、3連複も獲れるのではないかと夢を追う上位3つの馬番が本書のウリである。
 もう説明も不要かと思うが、本書の使い方は簡単だ。すでに提示されている3つの馬番、あるいは掲載されているレース名からご自身で調べてもらう3つの馬番を馬券に絡め、的中率&回収率を大幅にアップさせようというものだ。やはり、本書の最大の活用法は、“自身の予想では買えない穴馬”に目を配ることができる点だろう。
 我々、特捜班も毎週この3つの馬番で勝負し、一喜一憂している。本気で全レース的中を願っているからワクワクできる。ロマンとしての競馬も、ギャンブルとしての馬券も、未来に夢を託すことなのだから。

子どもを守るために知っておきたいこと●はじめに

はじめに
                            産婦人科医 宋美玄

 妊娠中または子育て中に、道端で見知らぬ人に声をかけられて何かアドバイスをされたという経験のある人も多いと思います。また、友人や知人、親やきょうだいが、健康法や育児法にいろいろと口出しをしてくることもよくありますね。
 これを私は「一億総姑現象」と呼んでいて、どうも妊婦や小さな子どもの親には、アドバイスをしてもよいという認識の人が多いようです。その内容が正鵠を射ているならありがたいのですが、妊婦さんや患者さんたちから「知り合いから言われたのですが、本当ですか?」とたずねられるものの大半は、残念ながら眉唾ものです。
 一方で、近頃はスマートフォンひとつで、情報の海に漕ぎ出せる時代になりました。ところが、疑問や不安を解決しようと検索しても、インターネット上の子育てサイトなどから得られる情報は、残念ながら玉石混淆もいいところです。子育てサイトには、専門家への取材もせず、監修も受けず、根拠のない適当な記事を量産しているところが多く、むしろ親たちを混乱させています。
 さらには、学校や公的機関、専門家が発信する情報さえ、まれに頼りにならないことがあります。学校教育に歴史的・科学的に間違ったものが紛れ込んだり、一部の医師や助産師、保健師などの専門家が間違った情報を発信したりすることもあるのです。

 このように玉石混淆の情報の海から、本当に子どものためになるものを選び取るには、「なんかこれよさそう」という感性だけを頼りにするのはよくありません。リテラシーが必要なのは、医学だけでなく、育児、食、教育など何事でも同じです。基本的な知識や論理的思考がないと、うさん臭いビジネスやカルト的な団体のカモになってしまうこともあります。
 何が正しくて、何が間違っているのかわからない……。そういうときに「子どもには○○が危険」といった情報に触れると、本当かどうかはわからないけれど、とりあえず避けてみようというのは、よくある対応です。しかし、特定のものを避けることにもリスクがあります。たとえば、代表的なアレルゲンをあらかじめ避けると、アレルギー発症のリスクが高くなってしまいます(95ページ参照)。
 また、「親がチョイスすればいいんじゃない」、「どれを選択しても、子どものために必死で考えた結果だからいいと思う」というような安易な考えにも陥りがちです。でも、きちんと考えるためには、最低限の知識と論理的思考が必要でしょう。明らかな間違いというものは存在するからです。たとえば子どもに「ワクチンを打つのも打たないのも正解」ということはありません。ワクチンを打たなければ、重大な病気にかかる恐れがあるのです(60ページ参照)。

 子どもは、親や周囲の大人を選ぶことができません。子どもは、大人たちが取捨選択する過程に口を出すことはできず、選択を受け入れることしかできないのです。その結果、何かトラブルが起きた場合に、「でも、あなたのことを必死で考えたのだから」と言い訳をしても、責任を取りきれません。健康被害やなんらかの不利益をこうむるのは、子どもたちです。

 この本は子どもにまつわる事柄で、多くの人が疑問に思っているだろうことを集め、
それぞれの専門家がわかりやすく回答したものです。親だけでなく、多くの大人がリテラシーを身につけ、大切な子どもたちを守れる社会になるよう願っています。

京都 とっておきの道を歩く●まえがき

旅のはじめに

 旅の極意は、歩くことにある。
 名所を見学し、そこから車なりバスなり電車なりを使って次の名所に移動し、そこの見学が終ったら又次の名所まで車なりバスなり電車なりを使って移動する──それは旅ではなく、旅行である。
 繰り返して言えば、旅の極意は歩くことにある。
 旅とは点から点への移動ではなく、あくまでも線上にある。そして、その線上の旅を何度かおこなうことによって、面上の旅へと拡がってゆく。そのような旅の線を、そして旅の面を作るためには、歩くしかない。
 歩くという等身大の速度によって見えてくるものこそが、旅の真髄なのである。
 そうした歩くという行為の中で、美しいと感じたもの、楽しいと思ったもの、尊いと見えたものに出会った時、そこでためらわずに立ち停まる。そう、そんな時は通りすぎずに必ず立ち停まってほしい。
 それは年古(ルビ・としふ)った家並みや町角だったり、尊い寺や神社だったり、壮観な建物や橋だったり、美しい樹木や草花だったり、楽しげな古書店や文房具店だったり、そそられる料理店や居酒屋だったり、あるいは、旅でしか見ることのない空の色や雲の形だったり、何であれ、目を奪われ心惹かれた時は、いつでもすかさず、そこで立ち停まる。
 歩くことによって、どれだけ多く立ち停まれるか。この逆説的な表現にこそ、実は旅の目的がある。
 歩いて立ち停まる。又歩いて立ち停まる。又々歩いて立ち停まる。それが旅である。
 ただし、立ち停まるためにはボンヤリとしていてはいけない。しっかりと目を見開き、耳を澄まし、心のすべてを解き放って、ドンランに歩かなければいけない。
 そして、その立ち停まった時、できれば何かをしたい。何かとは?
 写真を撮る。簡単な線描でスケッチをする。印象をノートに一、二行記す。即興で歌を詠み俳句をひねる。何でもいいのだ、記憶をとどめるための記録ならば。
 立ち停まったその場所に応じて、複数の手法を使い分けたり組み合わせたりするのもいい。何でもいいから、何かちょっとした記録を残すことが大事なのだ。というのも、旅をしている最中だけが旅なのではないのだから。
 旅は三つの部分で構成されている。「旅に行く前」、「旅の最中」、「旅から帰って」。
 もちろん、いちばん重要なのは、「旅の最中」である。けれど、旅をより良く、より深く、より楽しく味わうためには、それだけでは十分ではない。
 まず、「旅に行く前」に、地図をながめたりガイドブックを読んだりして、あれこれと頭の中で空想の旅を創造することは、これから始まる旅への助走(あるいは序奏)として、期待と興奮を盛り上げる重要な要素である。
 そして、それ以上に重要なのが、「旅から帰って」である。旅は行って帰ってきて、それで終りなのではない。旅はしっぱなしではいけない。
 旅から帰った後、その旅を振り返ることによって、もう一度、旅をすることができる。つまり、一粒で二度おいしい、というやつである。
 その振り返る縁(ルビ・よすが)として必要なのが、写真なり、スケッチなり、心覚えの文章なりの何かなのである。旅の最中に残した何らかの「記録」が、心に残る忘れ難い「記憶」を補助することによって、その旅はより重層的なものになる。
 そうしてその旅は、より個性的なものとなり、あなただけの、かけがえのない、世界にひとつだけの旅になるのだ。
 その旅の記録を取り出せば、その瞬間にいつでも、その旅の記憶へと還ってゆくことができる。旅とは、無論、行くものである。でもそれだけではなく、旅とは還ってゆくものでもあるのだから。
 そのためには、旅の記憶と記録をひとつにまとめるための、ノートを用意したい。
 スケッチを描いたり、文章を書いたり、食べた料理や飲んだ酒の名をメモしたり、歩いたルートを地図にしてみたり、何でもかんでも、そのノートに記してゆく。旅から帰ったら、撮った写真や、寺の拝観券や、レストランのカードや、小料理屋の箸袋や、各店の領収書(ルビ・レシート)など、何でもかんでも、そのノートに貼りつける。こうして、あなただけの、かけがえのない、世界にひとつだけの旅のノートができあがる。
 旅とは、記憶を経(縦糸)に、記録を緯(横糸)にして織られた一枚の織物である。

 以上書いてきたことから、要点のみを抽き出して箇条書きにすると、
1 旅の極意は歩くことにある。
2 歩くことによってのみ見えてくるものの中から、立ち停まる瞬間をできるだけ多く見付ける。
3 立ち停まったら、何らかの記憶と記録を残す。
4 その記憶と記録をひとつにまとめるために、旅のノートを作る。
5 記憶と記録によって織られた旅は、その時、あなただけの、かけがえのない、世界にひとつだけの極上の旅へと変貌する。

本書の構成について

第1章、第2章、第3章は、ホテルか旅館、あるいは近くの喫茶店で朝食をとった後、わりと早い午前中から動き始めて夕方まで歩く、ほぼ丸一日を想定したコースであり、第4章、第5章は、京都に到着した日、または京都から帰る日の、ほぼ半日を想定したコースである。
 そのために、第1、2、3章は、コースの中にそれぞれお勧めの昼食(休憩時間有り)と夕食の店を紹介し、第4、5章では休憩時間無しの店を選んである。
 なお蛇足を承知で言えば、本書で設定したコースはあくまでもひとつのモデルとして考えていただきたい。歩いていて、あっ、この横の道、面白そうだなと感じたら、とりあえず興味を惹かれた方に行ってみる。寄り道、廻り道こそ、旅の楽しさである。どこか先の方で、また本書のコースに戻ってくればいいのだ。かたぐるしくならずに、自分の好みや感覚に忠実になることが大事である。
 また、各コースは相当に欲ばって、あれもこれも、あっちもこっちもと、目一杯、精一杯に足を延ばしているので、その日の体力と気力に相談しながら、途中できりあげるなり、どこかをショートカットして前後をつなげるなり、臨機応変に歩けばいいのだ。

 さぁ、それでは今から、あなただけの、かけがえのない、世界にひとつだけの京都の旅へと歩き始めよう。