はじめに
~マインドフルネスに少し疲れたあなたへ

 マインドフルネスという言葉をキーワードにした講座や教室、研修や著作が溢れています。また昨今では、宗教色を取り除いた瞑想という枠を超えて、マインドフルネスストレス低減法を皮切りに、心理学や医療の分野にも広く応用されています。
 その風潮のせいなのか、「坐禅はマインドフルネスなのですか」と問われることが多くなりました。また、坐禅会においても、坐禅にマインドフルネスが掲げた効果を求めて参加される方が多くなったように感じています。

 私はマインドフルネスに本格的に取り組んだことはありません。数度のセミナーに参加した程度ですが、呼吸や姿勢、「今・ここ」に焦点をあてることには親しみを感じました。
 しかしながら、セミナーの度に示された正解や目標、たとえばマインドフルネスをすることで「朝から頭がスッキリしてやる気がわいてくる、仕事の効率があがり成果を出せる、いつも苦手な人との会話が楽に出来る、周りの意見に振り回されない心が保てる、閃きや直感がさえて強靭な思考が手に入る」というものには疑問を抱きました。
「そんな素晴らしいことが短期間にできるならば、世界はアッという間に平和になるだろう」と。

 今の私には、マインドフルネスと坐禅とを対比することはできません。
ですから、「坐禅はマインドフルネスなのですか」と問われた時には、「どうなのでしょうか」とことわって、二つの問答を紹介しています。

 まず一つ目は、中国に禅を伝えた達磨大師と梁(りょう)の武帝との問答です。
「私はたくさんのお寺を建立したり多くの僧侶を出家させたり、また多額の寄進をしておりますがどういう御利益はあるのでしょうか」と武帝が問いました。
達磨大師は応えました。
「無功徳」

 「無功徳」とは、武帝が期待するとろの御利益なんかありはしないと断じたのです。
 自分の善行を誉めてもらえると期待した武帝には、達磨大師の態度は想定外でした。そればかりか、自己の存在を全否定されたような言葉に怒りがこみ上げてきたことでしょう。ですから、「無功徳」の意味を受け取ることができませんでした。

 達磨大師は武帝のことを馬鹿にしたのではありません。いえむしろ、そのような奇特な方なればこそと慮り、「功徳が有る無いの世界」から武帝を釣り上げようとされたのです。
 その世界では、有ることを求めれば際限がありません。無いことは有ることといつも比較されてしまいます。そんな比較対立の世界には、安心(あんじん)、即ち、本当の心の安らぎはないのです。

二つ目の問答は、武帝との問答から面壁九年、達磨大師にその法を嗣ぐことになる慧可大師との問答です。
「私は不安でなりません。どうか、この心を鎮めてください」と慧可大師が問いました。
すると、達磨大師は応えました。「ならば、その心とやらを持っておいで」
慧可大師は、心を探します。けれども、見つけることができませんでした。
慧可大師は言いました。
「心を探しましたが、心を掴み取ることはできません」
達磨大師は応えました。
「今、あなたの不安とやらを鎮めたよ」

 私たちもまた、実態のない心を掴み取ろうとして走り回ってはいないでしょうか。自分の心さえも自由にできないからと悩んでいないでしょうか。「心を整理しなければならない」「心を楽にしなければならない」と騒ぎ立てていないでしょうか。
 実は「心は自分の思い通りにすることができる」というその態度こそが、迷いの出発点なのです。

 達磨大師は「今、あなたの不安とやらを鎮めたよ」と示すことで、「実態のないものに苦しめられている自分というものすら無い」ことまで慧可大師に伝えました。そして、「自分が無いというところの自分」をあきらかにする道こそに安心があるのだ、と。

 最近「マインドフルネス難民」という言葉があることを知りました。
それは、今ある症状や現状を改善しようとマインドフルネスに取り組んだのに、かえって悪化させたり、より閉塞感を抱くことになったりした人たちが、自分に合致する「人、場所、方法」を求めて彷徨っている状態を指すそうです。

 真面目な人ほど、マインドフルネスで指示された課題ができたか否かに拘り、目に見えた効果が現れないことに悩んでしまうのでしょう。
 けれども、強いメンタル、折れない心、心の筋トレがそんなに必要なのでしょうか。果たしてそんなにあなたの心は弱いのでしょうか。

 もしかしたらあなたはマインドフルネスに少し疲れているかもしれません。「自分なんか無理」と坐禅を遠ざけてきたかもしれません。
 けれども、坐禅は何かを片付けてから、何かを用意してからではない、「そのままの自分」からはじめることができるのです。

 どんな「今・ここ」であれ、あなたは坐禅と出会いました。

 求めて得たものはいつか必ず失います。
 求めないという穏やかな世界があることを、坐禅はあなたに示してくれるはずです。
 まず「効果や効能を求め逸(はや)る心」から少し離れてみましょう。

大童法慧