人は生きていくうちに、いくつもの“別れ”を経験します。
 別れというものは、どうしようもなくつらく悲しいことです。
 たとえば、保育園に勤める知人から、こんな話を聞いたことがあります。
 「初めて預かることになった日は。大変。ママの姿が見えなくなった途端、この世のおわりのような泣き叫び方をする子がいて……」
 小さなお子さんにしてみれば、これまでずっと一緒だったままと離れるのです。不安でたまらなかったのでしょう。特に一人では生命を維持できない赤ちゃんにとっては、面倒を見てくれる人の不在=自分の生命にかかわることですから、不安や恐怖が押し寄せるのは当然で、泣くのは自己防衛本能といえます。
 かわいいわが子がわんわんと泣き叫ぶ声を聞いて、思わず戻ってきてしまうお母さんも少なくないそうです。そんな時、その保育士さんは、いつも笑いながらこう言うそうです。
 「大丈夫ですよ。よくあることです。お子さんは、いろんなことがわかっているから泣くんですよ。お昼にはもう泣きやんでますよ。だから安心してください。5分後にはケロッとしているお子さんはたくさんいます。私たちはいろんなお子さんを見てきましたから。安心してお仕事に行ってらっしゃい」
 お母さんにしてみれば、こんなにも自分を頼ってくれるのはうれしい、愛おしい。でも預けないと仕事に行けない……お願いだから慣れてね、と切ない思いでしょう。
 赤ちゃんに“別れ”という概念があるのかどうかはわかりません。ですが、ずっと一緒にいた人と引き離されるという悲しみは、大人が感じる別れの悲しみや苦しみと本質的には変わらないと思うのです。
 人は成長の過程で、様々な“別れ”を経験します。親しい友人の転校だったり、卒業だったり、お付き合いしていた人との別れだったり、そのたびに悲しみ涙します。でも、そこには「悲しいけれどしょうがない」という納得と、「でもいつかまた会えるかも」という期待、場合によっては「自分の未来のために必要なこと」という割り切りも同時に存在していて、「絶望」や「苦しみ」にまでは至りません。
 ところが「死」という別れに対してだけは、納得も期待も割り切りも存在しません。ただただ喪失感に打ちひしがれることしかできないのです。

 そうした「死」による別れに嘆き苦しむ方を目の前にすることが多いのが、私たち僧侶のお仕事です。
 でも私は、愛する人を亡くして嘆き苦しむ方を前にして、何もできません。無力さを漢字ながらも、精一杯の心を込めてその方のそばにいてお話を聞くくらいです。「どうしたらこの方が立ち直ってくれるだろうか」と考えながら。
 そんなとき、私が日々接している仏様にまつわるお話をさせていただくことがあります。
 「死」とはどういうことか、どうすれば苦しみから逃れることができるのか。
 嘆き悲しむ人二、新しい一歩を踏み出す手助けになるように、できるだけその方に合ったお話をさせていただいています。
 私は僧侶であると同時に、「坊主バー」という飲食店の店主でもあります。ですから、お店でも、様々な方の悲しみや苦しみを耳にしては、できるだけその方に合ったお話をさせていただいています。
 あるご縁で、「そのお話を1冊の本にまとめたい」という出版社の方と出会いました。もしもしれがどなたかのお役に立てるのなら、とお引き受けさせていただくことになり、今、こうして本を手にとっていただいている次第です。

 私は浄土真宗本願寺派ですが、私の周囲には様々な宗派のお坊さんがいらっしゃいます。できるだけ偏りたくない、広い意味で「仏様」という存在にどれだけ私たちが救われているのかを伝えたい。そのような思いもあり、本書ではほかのいくつかの宗派のお坊さんにもお話をしていただきました。
 ですから、ご紹介する逸話や教えに同じ内容のものがあったり、前に読んだ文章と違う解釈のものがあったり、同じことについて語っていても宗派によって違う見解が混在していることもあります。年齢や修行歴もばらばらで、それぞれの経験によっても感じ方や伝え方が異なります。ですから、少し読みにくい部分もあるかもしれません
 しかし、それは本書が「こうあるべきだ、こうしなさい」と押しつけるものではなく、「このような考え方もありますよ」というものでありたいという思いからです。いろいろなことが書かれていて「仏教ってこういうものなのかな」と仏教の入り口としてなんとなく理解していたあだければよいのです。
 実際、私のお店では様々な宗派のお坊さんがそれぞれの考え方をお客様にお話しさせていただいています。すぐ上のフロアには「牧師バー」もあって、時には牧師さんや神主さんも「坊主バー」でお客様のお相手をすることがあるのですが、お客様はいろんな宗教家の話が聴けると喜んでくださいます。

 今、現実に悲しい別れと直面して苦しんでいらっしゃる方、悲しみが癒える過程にいらっしゃる方。ご自身やご家族の人生の終わりを意識しはじめた方。そういった方々に少しでも希望の光が射し、その光に向かって歩いていけるお手伝いができれば、私としてはうれしい限りです。合掌

浄土真宗本願寺派僧侶
四谷坊主バー店主
藤岡善信