初代会長 大西清之

 2012年の暮、病気の治療のために地元・鳥取を離れて、東京に滞在していたときのことである。私は、自分に付き添う娘にこう言った。
 「どんどろけの活動を本にまとめたいと思うけど、どうだ?」
自分の余命が短いとわかっていた私は、約30年続けてきた仲間たちとの活動を記録に残したい
と考えていた。書籍の編集をしている娘は、シンプルに答えた。
 「いいと思う。私が編集しようか。ただし、仲間のみなさんが賛成してくれたらだよ」
 そこで、石破に可否を尋ねたところ「いい本ができるといいですね」と同意してくれ、ほかの仲間たちも賛同してくれた。こうして、一冊の本を作ることになったのだ。

 『どんどろけの会』は、石破が衆議院議員選挙に初出馬する前の1985(昭和60)年に結成した非公認後援会である。私たちの仲間のひとりである石破を国会に送り出し、「鳥取を、日本をよくしよう」という趣旨の会だ。
 私たちと石破のあいだには、なんの利害関係もない。私だけは石破の父である二朗氏に恩があったが、ほかのメンバーにとって、石破はただの若い議員候補者だった。
 中選挙区制だった当時は選挙区が広く、石破は日中こそ忙しかったが、夜は時間があった。だから、毎夜みんなで集まってカメラテストをしたり、演説の練習をしたり……。その場で、石破には、メンバーからの容赦ない批判が向けられた。政治的な主張はもちろん、立ち方、話し方、さらにはネクタイの選び方までみんなで討論し、ケンカの一歩手前ということも多かった。
 こうしたやり方はとても素人くさいものだが、私たちは新しいタイプの政治家が生まれつつあることを実感したし、また政治家と支持者の理想的なあり方というものを予感していた。

 会の運営にあたって、私は学生の頃に身を投じた新左翼運動で学んだ手法を意識した。ひとりのメンバーが数人の新メンバーを獲得して人数を増やす、仲間が共通認識を持つ、みんなが平等である(地位、職業、性別、年齢を越えようという姿勢)ことを徹底し、運営の根幹においた。
 また、エネルギーというものを大切にした。若いメンバー同士の活発な討論、お互いの距離を近づけるレクリエーション、新しい戦術への挑戦……、これらはすべてエネルギーを消費すると同時に、新たなエネルギーを生む。
 日々、新しい戦術に挑戦して、小さな勝利を積み重ね、その小さな勝利からさらに新しい戦術を生み出し、新しい戦術への挑戦を楽しみながら活動を強化していく。一つひとつの戦術に効果があろうがなかろうが、チャレンジし続ける。
 こうして、若者が集まってエネルギッシュな活動を続けていけば、旧勢力を打倒できるほどの力が生まれるに違いないと信じていた。実際に、当初は十数名だったメンバーは驚くほど増え、このことに石破は元気づけられたし、私たちは大きな感動を得た。

 石破は、初出馬前から目的意識的な政治家像を持とうと努力していた。あのときに、職業政治家としての第一歩が始まっていたのだ。どんな政治家になるべきか、どんな姿勢でなるべきか、そこから出発した問題は、私たちのどちらにとってもギリギリの問いであった。
――政治家の原点とは何か
 私たちメンバーは、ときに石破を徹底的に問い詰めたが、彼は常に誠実であった。本当に! 
 今振り返っても、日々成長していく石破を見続けることは、とても楽しいことであり、刺激にあふれていた。ここで改めて、石破と仲間に感謝したいと思う。
 そして、この本を手にとってくれた方にも、感謝を捧げたい。